スリランカ旅行 2017

2017年1月9日(月)〜30日(月)

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スリランカ旅行情報

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© 2017 Kengo Tachibana
Created: January 31, 2017
Updated: February 25, 2017



ball_magenta2.gif スリー・パーダ登山道(日誌一部省略・修正、再掲)
   関連ページ:第15日目 1月23日(月):スリー・パーダに登る(別ウィンドウ)
    【スリー・パーダ登山地図】
  • 宿から橋Aまで
  • 宿を出て参道を進む。道の両側に様々な店が並んでいる賑やかな普通の通りである。橋@を渡り、左へ曲がって間もなく、車も通る普通の道は終わり、ここから緩い坂の歩道の石段となる。所々に仏陀像を祀る御堂などが置かれ、道はいかにも参道といった風情であるが、依然として店は連なっている。休憩所とトイレの施設もあるので安心だ。一つ坂を上り、下りすると、前方にどっしりとした石の門"Makara Thorana"が現れる。門の前左には巨大な釈迦涅槃像がある。門をくぐってすぐ、小川にかかる小さな橋の先左手に沐浴場があり、この門の先が聖域であることを示している。参道の店もまばらになり、やがて橋Aに至る。ここまでが一区切りと考えられる。
  • 橋Aから橋Bまで
  • 橋Aの上の右手に椅子なども置かれた大きな休憩所がある(ここで朝食を摂った)。この先はこれまでの参道とは雰囲気が変わって、聖なる山へ向かっているという感じがする。休憩所の所で道は分岐する。左は急坂の長い石段を登り、日本の寺院「日本山妙法寺」境内を通る道(登りはこの道を通った)、右は左手の山腹をトラバースするなだらかな道だが(下りはこの道)、先のストゥーパの麓で2つの道は合流する。この間、店は下のトラバースの道に一軒あるのみ。道の合流地点から参道石段(コンクリート)の傾斜が
    やや強くなり、店や休憩所は要所要所に集まっている。さらに傾斜の増した長い石段を登り詰めた所が橋Bである。ここには休憩所と売店、小さな滝の沐浴の場、囲いのある沐浴場があり、重要な参道の区切りであることが感じられる。
  • 橋Bから山頂まで
  • 橋Bまで参道は谷川に沿って西へ向かっているが、橋Bで左直角に曲がり、尾根を南へ登ることになる。また、橋Bを渡ると、参道の様子ががらりと変わり、東方面の展望が開けると共に、いよいよ聖山に登るという緊張感を覚える。これまでの下り坂や緩い坂はなくなり、土の道もほとんど消え、急坂の石段ばかりが山頂まで連続する。橋Bから山頂まで地図上で1.7kmであるが(グーグルマップによる)、道の傾斜のことを考えると歩く距離は2kmほどになると思われる。この間一休みできる売店が適当な距離ごと点々とあるだけである(中程に大きな休憩所・トイレがある)。傾斜が増し、道の幅が狭くなると両側に転落防止の低い壁が設けられている。さらに登り、山頂近く、道が右に大きくカーブする辺りからいよいよ傾斜がきつくなり(45度くらいあるのではないかと思う)、道の両側と真ん中に頑丈な太い鉄パイプの手すりが取り付けられているが、これは転落防止であると共に、上り・下りを区分し、混雑の危険を避けるためでもある。この最後の正に胸突き八丁の石段を一歩一歩踏みしめながら登り、山頂に達する。

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ball_magenta2.gif エッラ・ロック登山(日誌一部省略・修正、再掲)
   関連ページ:1月25日(水):エッラ・ロックとリトル・スリー・パーダに登る(別ウィンドウ)
    【エッラ・ロック登山地図】(:地図画像をクリックすれば、別ウィンドウ拡大地図。)
  • エッラ・ロック登山は、登山口までのアプローチがユニークである。長々と鉄道線路の道を歩く。日本と違って線路はれっきとした道であり、人々の生活道路として大いに役立っている(犬も歩いていた)。鉄橋を渡ったりしてちょっとわくわくする。時折列車が通るが、線路脇によけ、手を振ったりしながら見送る。線路から登山道分岐(ここが登山口)を左折、小さな橋を渡って低い支尾根に上がり茶畑の中を進む。登山道にただ一軒ある茶店を過ぎると坂道となるが、傾斜は緩い。やがてエッラ・ロックへと延びる主尾根まで上ると展望が開け、エッラ・ロックが間近に見える。広い尾根道をしばらく歩くと道は森の中に入り、少し歩きにくい傾斜のある山道になる。やがて道が左に急カーブした地点に至る。ここから岩場(と言えるかどうか、という程度)や石の散在する道を急登、山頂に着く。
  • 山頂からの展望は素晴らしい。この日はあいにく時折雨の降る悪天候であったが、雨雲が消える短時間に眺望が得られた。眼下に、ホテルが斜面に建つエッラの町とリトル・スリー・パーダが見える。彼方にはラワナ・エッラ滝も遠望できた。山頂から頂稜を南へ600mほどの所にビュー・ポイントがあり、岩陰に仏陀座像が祀られている。山頂で出会った人に教えてもらい、山頂から往復したが、道は平坦で歩きやすく、行ってよかった。これはエッラ・ロック登山のおまけのようなものだが、おまけの方が嬉しいことも多い。
  • その理由が全く分からず、大いに不満で、少し怒りさえ覚えたのは、道標のないことである。確かに線路出合には「←Ella Rock」と明確な指示板がある(これは線路を歩け、という意味)。ところが、その先は山頂まで、道標や案内など全く何もない。エッラ・ロックは、眺めだけではなく登山もエッラ観光目玉の一つなのだから、観光登山者(かなり多い)のために「登山ルート地図」が欲しい。また、登山口へのアプローチと登山道の要所要所に道標を設置することはサービス、というより義務であるとさえ思う。
  • 以上と関係のあるのが「勝手ガイド(もしくは押しかけ案内人)」である。私の体験を少し詳しく述べる。私は前もって『地球の歩き方』
    やネットでエッラ・ロック登山ルートについて調べ、その地図を作った。しかし、線路歩き区間ははっきりしているが、登山道分岐(登山口)から先がどうもよく分からなかった。そのため、登山道に入ってすぐ、橋の先で道を間違え、直進、村落の方へ入ってしまった。線路の途中で私の地図を見ていた一人の若者が私の先を歩いてついてきたが、村の中でこの道が登山道ではないと教えてくれた。たまたま出会った二人の警官に訪ねると、若者の言う通りとのこと。そこで引き返し、正規のルートに戻った。その先のルートは明白なので、後は一人のんびり登るつもりであった。ところが、若者が私の前を歩きながら、道を案内すると言う。私が、その必要はない、一人で登りたいのだ、といくら言っても引き返す気配がない。茶店の先で、金を払うから帰るよう頼むと、この先も案内するから2千ルピー欲しいとのこと。先ほど正規ルートを教えてくれたお礼くらいはするつもりだったが、この金額には少々腹が立ち、500ルピーだ、と言った。結局千ルピー渡した。そこで別れたかったが、彼は(律儀に)山頂への直登手前まで「案内」してくれた。そこで別れてほっとした。これが「勝手ガイド(もしくは押しかけ案内人)」である。このような輩が線路出合から鉄橋までの途中の広場にたむろし、道をよく知らない観光客にその案内を持ちかける。それどころか、わざと違う道を教え、登山者が結局案内を頼むよう仕向けるのである。私にも彼らの一人が登山道はこっちだと、線路から逸れる道を示したが、その罠にはひっかからなかった。エッラ・ロック登山は難しくはない。歩く距離、高低差も大したことはない。道標さえあれば、簡単に登れる山であり、ガイドは不要である。例えば、ネパール・エヴェレスト街道のガイドやポーターたちの配慮、苦労、手当と比べ、エッラ・ロックの「勝手ガイド」が要求する2千ルピーのガイド料はベラボーである。僭越ながら、不愉快な思いをしないで済むよう、上の地図を参考に「勝手ガイド」なしでこの山に登ってください。ただし、山歩きに慣れていないため不安な人は宿でガイドを手配してもらうのもいいと思われる。

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ball_magenta2.gif 準備と結果
    【荷物の準備】
  • 荷物を何に入れて運ぶか少々迷った。一昨年のスリランカ旅行の時のように、スーツケースと普通のデイパック(25リットル)にすることも考えた。その旅行では、孫娘のRisaとの二人旅の宿泊地間の移動はすべてタクシー、その後の2泊3日の単独行動ではスーツケースをコロンボのホテルに預けることができた。しかし今回、宿泊地間の移動は鉄道とバスであり、鉄道の駅やバスステーションと宿の間をすべての荷物を持って1km前後歩かなければならないことがありそうだ(1kmを越える場合はできるだけトゥクトゥクを利用するつもりだが)。さらに、その歩く道は恐らく舗装されていないであろうから、スーツケースを転がすのはまず不可能だろうと思った。そこで、今回はスーツケースではなく大型リュックを使用することにした。
  • 【リュック】
    :クリックで別ウィンドウ拡大。)


  • すべての荷物の準備を済ませ、上の画像の通り、大型リュック、小型デイパック、ウェストポーチに収めた。大型リュックはドイター(deuter) バックパック エアコンタクト、容量55+10リットル。昨年8月の屋久島・宮之浦岳縦走(山中3泊4日)のために購入した。小型デイパックはライペン ライズパック、容量20リットル。小ぶりのウェストポーチはどこかのホームセンターで買い求めたもので、普段の山歩きや旅行の際常に使用している。いつでも写真を撮れるように、このポーチのベルトに防水デジタルカメラのケースを取り付けてい
    る。ポーチに入れているのは、携帯電話、カメラ予備電池、メモ帳とボールペン、目薬・胃腸薬・アミノバイタル(場合によっては、+ブドウ糖・塩)など、ナイフ(飛行機の中ではダメ)、爪楊枝や歯ブラシ、タバコ・ライター・携帯灰皿、などなど。デイパックは小さくたたみ、本来は大型リュックに入れておき、山小屋やテント場から山までの往復の際に使う。しかし今回は、本来の目的の他、航空機の機内持込用や観光・町歩きの時にも用いる。画像のデイパックには、小型PC、ガイドブック、予定表や地図、参考資料、宿の予約確認書などの重要書類、それに機内用スリッパ、折りたたみ雨傘、などなどを収めている。飛行機から降りた後、旅行の移動では、それらも大型リュックの中に入れたいのだが、スリランカに着いてからしばらくはそれは無理かも知れない。リュックにその余裕がないからである。
  • 大型リュックにはその他の荷物をすべて収納している。衣類、水着、町歩き用サンダル、登山用装備品、衛生用具・品、薬(怪我用、虫対策用および各種服用薬品)・体温計、電気器具類、スチール魔法瓶(0.8リットル)、その他長期旅行で必要な、あるいはあると便利な小物類などである。普通は以上で十分であろう。しかし、この大型リュックには、スリランカ旅行ということで、用心して準備した蚊取線香1缶が入っている。また、3週間当地の料理・食品だけで済ますのはこの歳ではきつすぎるので、かなりの量の食品を詰め込んだ。まず、アルファー米、ヤキトリの缶詰、カップヌードル、カップ麺、インスタント吸物、粉末茶、コーヒーステックなどである。これらは山登りの際、あるいは散策や観光の時、昼食用や軽食用として、また現地の食事に飽きたり、それが重く感じられる場合に大変重宝する。次に、行動食の乾燥果物など、およびチョコレート、金平糖や飴玉などのお菓子類。最後に、これは私の個人的嗜好であるが、お酒とタバコ。正直に記すと、お酒は焼酎900ミリリットル×2=1.8リットル(つまり1升)といわゆる酒のつまみ、およびタバコ2カートン。ちなみに、スリランカではタバコは非常に高価、20本入り1箱1,000ルピー=約1,000円、1本50円なので、相手にもよるが2/3本でチップ代わりにもなる。
  • 利用する中国東方航空便の機内預け荷物は23kg×2個である。大型リュックの重さを量ってみたら約17kgであった(十分余裕がある)。これは宮之浦岳縦走の時とほぼ同じだから、町中を0.5〜2kmほどゆっくり歩く程度ならば苦にならない。ところで、蚊取線香と食品類・嗜好品は、旅の終わる頃にはほとんどなくなる。その空間にはお土産が収まっているだろうと思う。
    【結果】(私が気になった事項についてのみ記す。)
  • 大型リュックとデイパック
  • 荷物を持って歩くことを想定し、大型リュックを用いた。しかし、鉄道の駅やバス・スタンドから宿間の移動は、ナラタニヤを除き(到着してバス停から200mあまり歩いただけ)、すべてトゥクトゥクを利用したので、スーツケースの方がよかったと思う。それはすべての宿を前もって予約していたからである。目的地に着いてから宿をさがす場合は、荷物を全部持って歩くこともあるだろうが、今回の旅行ではその必要がなかった。やはりリュックよりスーツケースの方が荷物の出し入れがしやすい。

    登山で用いる容量20g小型デイパックを用いた。これは折りたためば両こぶし大くらいに小さくなる。山登りでは便利だが、旅行で町歩きや観光用としては容量不足、かつ少々ヤワである。普通のデイパックの方がよかった。
  • 食料品
  • アルファー米、カップヌードル、カップ麺、インスタント吸物、粉末茶、コーヒーステックは重宝した。しかし、その他、つまり、ヤキトリの缶詰、行動食の乾燥果物など、およびチョコレート、金平糖や飴玉などのお菓子類、酒のつまみ類などは持って行く必要はないだろう。この類いの食品は彼の地でも安く買い求めることができる。
  • 薬品類
  • 色々準備し持って行ったが、荷としてはかなりかさばる。常に服用する薬は別として、結局使ったのは漢方胃腸薬「センブリ」(これは
    用心のためかなりのんだ)、虫除け薬と虫刺され薬、救急絆創膏とアクリノール(小さなかすり傷で1回だけ)のみである。今回のように何事もなければほとんどの薬は不要であるが、旅先で何が起こるか分からないので、また旅に出かける時があるとすれば、保険のつもりでやっぱり持って行くことになるだろう。
  • 蚊取線香
  • 2年前と同様、今回も蚊取線香を一缶持って行った。ネゴンボの宿では蚊が出る。そこで部屋でも焚いたが、特に屋外で食事や一休みする時わんさか襲ってくるので、2箇所線香を燻らせた(一つはフランス人女性のためである)。その効果はあった。その後の宿でも部屋で線香を焚いた。しかし、北東部のマンナール、ジャフナ辺りは大気が乾燥しているためになのか、蚊はそれほど気にならない。中央山岳地帯のナラタニヤとエッラは気温が低く、蚊の出ることがあるかも知れないが、心配ない。コロンボのホテルでは焚いた。マネージャーは日本の蚊取線香のことをよく知っており(彼はこれを「コイル」と言った)、部屋で線香を焚くことを承知してくれた。余った線香はこのホテルへのささやかなプレゼントにした。ということで、しかるべき宿には蚊帳があるものの、蚊取線香は持って行き、焚いた方が気が休まるように思う。
  • その他
  • ヘッドランプは何かと便利だった。十徳ナイフも何度か使ったが、なくても何とかなる。普通の登山用ナイフは果物を食べる時によく使った。ウェットティッシュは色々な場で使える。

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ball_magenta2.gif 旅行費用
    【計算書】
  • 上記旅行費用の計算書で、交通費はかなり正確である。その他の費目は概算である。今回の旅費の中で一番多い割合を占める宿泊費は、領収書を受け取らないことが多かったので、1泊朝食込み平均6千ルピーで計算した。
  • 今回泊まった宿の中で最も満足したのはアヌラーダプラの"Rajarata Lodge"である。部屋代そのものは朝食付2泊で8,100ルピー=約6,000円(1泊3千円)と極めて安く、これに税金、サービス料、2回の夕食、コーラや3本のビール代を加えてもトータル12,330ルピー=9,124円であった。部屋はきれいだし、芝生の庭は広々して気持ちがよく、食事も美味しかった。また当地を訪れることがあれば、この宿に泊まることにする。
  • 今回の旅行の費用は2年前と比較するとずいぶん安く抑えることができたと思う。その要因は、まず、航空運賃の安さである。次に、長距離移動でタクシーを使わず鉄道とバスを利用したことであ
    ろう。しかし、当初の予定に反し、トゥクトゥク利用が多すぎたかも知れない。特別贅沢なことはしなかったが、20万円ほどの費用で約3週間、自由気ままなスリランカ単独旅行を存分に楽しむことができた。
  • ところで、ある程度分かってはいたが、この旅で為替レートが旅費に大いに関係することを痛感させられた。つい2年前初めてスリランカを旅した時は、1円=1ルピー(1米ドル=110円?)であった。ところが、今は1円=1.35ルピー、1米ドル=150ルピーである。今回スリランカに着いてしばらく、宿代、トゥクトゥク運賃、レストランの食事料金など、ルピーの代金が2年前より高めであると感じたのだが、これは錯覚で、実は日本円で比較すれば3割ほど安くなっていると思われる。ただし、私は経済には疎いので、これは個人的な思い込みかも知れない。

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ball_magenta2.gif スリランカ交通事情
  • 鉄道
  • ―スリランカ鉄道路線図―(:クリックで別ウィンドウ拡大。)
    スリランカの鉄道路線は現在上の【路線図】の通りである。すべてコロンボ・フォート(Colombo Fort)駅を起点としている。ここでは鉄道よりはバスでの移動が主であり、列車の本数は少ない。一番よく利用されるのはコロンボからキャンディー、ナヌ・オヤ、エッラを通り、終点バドゥーラの路線で、メイン路線である(路線図赤の線)。その便数はキャンディーまでが12本(1日、以下同様)で最多(その内、終点バドゥーラまでは4本)、あとは、アヌラーダプラまで9本、マタラまで7本と少なくなる。特に、内戦中反政府軍のタミル・イーラム解放のトラ (LTTE)が支配していた北部地域および東部沿岸地域への本数は、ジャフナまでの5本(路線終点カンケサントゥレーまでは4本)を例外として、極端に少なく、マンナール、トリンコマリー、バッティカロアへは1〜2本しかない。

    それらの内、今回私が利用した路線はトップページの地図の通りである(この中にはネゴンボからコロンボ・マラダーナまでのローカル列車もある)。アヌラーダプラからマンナールまで列車で移動したかったが、この路線は1日2本、その内1本は夜行列車ということ
    で断念した。内戦終結後、戦乱で荒廃した地域の復興が急ピッチで進み、線路の整備がなされ、新しい駅舎も建てられたようである。しかし、今回私が乗った、北のジャフナから南下してポルガハウェラまでの、いわば南北基幹路線列車を利用する乗客は少なかった。

    私は今回コロンボ近郊のローカル線を除き、すべての鉄道利用便のチケットをコロンボの旅行会社に日本から事前に手配してもらっていた。しかし、これは不要であろうと思う。コロンボ⇒バドゥーラ間のメイン路線、特にキャンディー、あるいはナヌ・オヤやエッラまで3等普通車両は混むことが多いので、1/2等車か3等車座席指定のチケットを予約・入手した方がいいのだが、これはコロンボのホテルでも可能である(2年前そのようにしてナヌ・オヤからコロンボまでの3等車座席指定チケットを入手した)。他の路線では、当日駅で、乗りたい車両のチケットを購入できると思われる(例えばジャフナ発列車の場合は確実)。
  • バス
  • ―バスの切符―(ほぼ原寸大)
    バス路線は鉄道路線に比べ、非常に発達しており、スリランカの隅々まで網の目のように延びている。長距離・近距離を問わず大いに利用すべきであると思った。ただ、大きな町のバス・ターミナル(バス・スタンド、バス・ステーションなどと呼ばれることもある)は大混雑している場合が多く、また、バスの種類も公営(赤い車体)、民営(白色基調の車体)、小型のIC(インターシティー)バスがあり、どこでどのバスに乗ったらいいのか、初めは戸惑うが、尋ねまくって探せば何とかなる。田舎の村でバスに乗るのは簡単だ。

    バス運賃は驚くほど安いので(上の「バスの切符」および各ページ記録「移動」のバス運賃参照)、タクシーやトゥクトゥクに乗らず、バスを利用すれば交通費の大幅な節約になる。
    バスには運転手の他に、必ず車掌が乗っており、客の呼び込み、乗降客の世話、それに切符も切る。その方法は極めてアナログ的で、バスに乗り込んだ乗客の一人一人から車内で運賃を受け取り、切符を渡す。切符の運賃は印刷されていることもあれば、手書きの場合さえある。

    この仕事は乗客の多い時は大変だ。乗客が満杯の時など彼らはバスが停まる度に外に出て、前後の乗降口間を移動する。原則的に後ろから乗り、前から降りることになっているが、ほとんど守られていないからである。また、そんな時、彼らは開けっ放しの乗降口のステップに身を置いている(これは日本では考えられない風景である)。何度もバスに乗ったが、その度に車掌さんたちの働きぶりには感心させられた。
  • その他
  • 【タクシー】

    2年前の経験では、タクシーでの移動は確かに楽で早いが(その代わりその運転で肝が冷える)、運賃は高い。しかし、3〜4人で乗り運賃を割り勘する場合は、それほど高いと感じないかも知れない。今回私は旅行中タクシーに乗らなかったが、スリランカ最後の日だけ1回、コロンボのホテルからバンダラナイケ空港までタクシーを使った。このタクシーは「バジェット・タクシー」で運賃が安い(予約が必要)。普通30米ドルほど(+高速道路代)だが、今回は2千ルピー(+高速道路代)だったからおよそ半額である。ただし、このバジェット・タクシーは他の町にはないと思われる。

    【トゥクトゥク(Tk)】

    重い荷物を担いで歩くのがしんどい時や、雨降りの時、どこにでもいて、手軽に乗れるTkは便利である。今回よく利用した。その運
    賃が2年前より少し高いように感じたが、ルピーを円に換算すれば前と変わらないのかも知れない。

    ただ、注意しなければならないのは、誠に残念なことながら、時たま少々悪質なドライバーがいることである。大都会のコロンボや観光地に多いように思う。外国人観光客が地の理に疎いことを見越して、わざと遠回りしたり、強引に不要なところへ案内したりして荒稼ぎ(とまでは言えないが)を企む。大したことではないが、私もこの旅で2度ほどそのような体験をし、不愉快な思いをした。特に、鉄道の駅やバス・スタンドなどで、愛想よく笑みを浮かべながら近づいて向こうから話しかけ、日本人と分かると大袈裟に我が国のことを褒めちぎるようなTkの運転手には用心しなければならない。私はスリランカ到着後1週間くらいで(不愉快な体験をしたからだろうが)、Tkドライバーの質を見抜く感のようなものが身に付いたようで、その後はトラブルなし。これは、スリランカの旅に慣れた外国人ということを彼らも感じ取るから、ということかも知れない。

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ball_magenta2.gif スリランカお酒事情
  • 上で触れたようにお酒は焼酎を合計1.8gリュックに入れて運んだ。2年前のスリランカ旅行で、なかなか思うようにビールなどを味わうことができなかったからである。しかし、これはこの国のホテルやレストランにおけるお酒提供が法的に原則禁止されているということを明確に知らなかったことが原因である。要領が分かれば、この問題は解決する。したがって、日本からわざわざ持って行く必要はない。
  • 今回の旅行でホテル(宿)やレストランでのビールなどの酒類提供禁止とその解決方法がはっきり分かった。つまり、この国ではホテルやレストランでのアルコール類の販売や提供は法律で原則禁止されている、ただし、客が自分で購入した、もしくは誰かに頼んで(例えば、ホテルの従業員やレストランのボーイなど)買ってきてもらったビールなどを自分の部屋やテーブルで飲むのは許されている、酒類はワイン・ショップまたはワイン・ストアで購入できる。
  • しかし、アヌラーダプラの宿では気持ちのよいオープン食事スペースで、ビールを注文するとすんなり出してくれた。また、エッラではホテルの部屋に冷蔵庫が置いてあり、その中に他の飲物に混じって缶ビールがあって自由に飲めた。2年前のことを思い出すと、コロンボのかなり高級なレストランではビールやワインを注文できた。これは、前もって客の代わりにお酒類を買っておき、冷蔵庫で
    冷やしたものを出し、代金は足代も含め後で支払ってもらう、という理屈なのかも知れない。
  • 以上の事情が分かったので、アヌラーダプラではTkドライバーにワイン・ショップを教えてもらい(幸いホテルの近くにあった)、アラックを買い求めた。マンナールのホテルの部屋の中に「アルコール(飲料)提供なし」という掲示があった。オーナーがスリランカ系ドイツ人だったので、この掲示の理由と、ビールを飲む方法について尋ねると、彼はこのようなスリランカのお酒事情をドイツ的に明快に答えてくれた。
  • ジャフナには3泊4日滞在するので、ホテルの従業員に缶ビールを5個買ってきてもらい、廊下に置かれた冷蔵庫の中に入れて、好きな時に飲んだ。ポルガハウェラでは宿のTkに乗って近くのワインショップまで酒の買い出しに出かけ、ビールとアラックを手に入れた。聖山スリー・パーダの麓の村ナラタニヤではビールを飲むのは控えたが、これは気温が低いからでもあり、アラックのお湯割りで身体を温めた。エッラのワイン・ショップは町中の"Bar"の奥にあった。コロンボの中華料理店で夕食を摂った時、ボーイさんに瓶ビールを3本買ってきてもらい、1本はそこで飲み、残りはホテルの部屋の冷蔵庫に入れた。アラックを買ったこの大都会の酒屋さんは小さなスーパーのような店構えであった。
    【関連画像】
    :各画像をクリックすれば大きな画像になります。各ブラウザの「戻る」ボタンでこのページへ。)

    [左から:アヌラーダプラのホテルオープン食堂にて、同ワイン・ショップ、同買い求めたアラック]
       

    [左から:マンナールのホテルの部屋の掲示、カンケサントレーのホテルレストランドアの張り紙、ポルガハウェラのホテルの部屋にて]
       

    [左から:エッラのホテルの部屋の冷蔵庫、コロンボのホテルの部屋の冷蔵庫、同中華料理屋で買ってきてもらったライオンビール]
       >

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ball_magenta2.gif その他
  • 中国東方航空と上海浦東国際空港での乗り継ぎ

  • 【中国東方航空】
    今回初めて中国東方航空便に乗った。福岡国際空港−上海浦東国際空港(乗り継ぎ)−コロンボ・バンダラナイケ国際空港往復である。Eチケットによれば(実際は若干異なる)、福岡−上海間:往1時間40分・復1時間45分、上海−コロンボ間:往7時間25分・復7時間05分である。この便を利用した要因は、まずこの飛行時間の短さと乗り継ぎ1回ということ、第二に(こちらの方がより重要とも言えるが)運賃の安さであり、諸税込往復38,870円。この値段にはびっくりした。というのは、2年前、福岡―東京・成田―コロンボの往復では15万円ほどだったからである。その時は確かに日本(成田)コロンボはスリランカ航空直行便であったが、その前に福岡から成田に飛ぶので、乗り継ぎ(乗り換え)1回というのは同じであり、飛行距離・時間は今回の方が断然有利である。第三に、日本の出入国という点で成田より福岡の方が遙かに簡単ということがある(これは手続き上のことではなく、いわば量的、つまり、空港の大きさ、空港内歩行移動距離、人の多さなどの違い)。 あまりにも運賃が安いので、ネットで調べてみると中国東方航空に関する情報はあまり芳しくない。しかし、その記事の中にはある種の「甘え」からの苦情ともとれるようなものがあり、気にしないことにした。必要以上の贅沢は無用、何より大事なのは、福岡からスリランカまで、恐らく最短時間、しかも4万円足らずで往復できるということである。

    実際はどうだったか。すべての便の機種はエアバスできれい、乗務員はテキパキと業務をこなす(過剰なサービスはないが)、機内食も別にどうということもない(そもそも、私は「美味しい」機内食など期待しない)。また、今回の利用便に関しては、ネットの記事でよく見るような中国人の騒ぎや不作法など全くなかった。飛行は予定時刻通りであり、全体何の不都合もなく、快適だったとさえ言える。要するに、今回の中国東方航空便はすべて満足である。
    【上海浦東国際空港での乗り継ぎ】
    上海浦東(シャンハイプードン)国際空港(Shanghai Pudong International Airport)は非常に大きなハブ空港である。長大な直線的ターミナルビルが500mの間隔で二つ並行して建っている。第1ターミナルと第2ターミナルであるが、中国東方航空便の発着は第1である。

    今回初めてこの空港で乗り継ぎするので、その要領を前もって調べた。その結果、上海浦東国際空港で同じ中国東方航空国際便乗り継ぎの場合、スルーチェックインが可能な外国の出発空港は限られているということが分かった。中国東方航空便ウェブサイトによると、日本では成田、関西、および(幸いなことに)福岡各国際空港である。残念ながら、スリランカのコロンボ・バンダラナイケ国際空港は対象外であり、したがって、帰国の際は、上海で機内預け荷物を受け取って一旦中国へ入国し(しかし、空港の外へは出ない)、あらためてチェックイン、出国審査という手続きをする必要がある。なかなか面倒で、ややうっとうしく思っていた。

    ところが、事情は改善されていた。福岡では情報通り、空港のチェックインで、機内預け荷物は上海をスルーして、コロンボで受け取る手続きをし、チケットも福岡⇒上海と上海⇒コロンボの2便分発券された。そして、このチェックインの際、帰国の場合は上海で一旦中国への入国後、あらためて出国・チェックインということを確認した。往きは上海の空港内で身軽に動け、詳細は省くがト
    ランスファーの手順と手続きも思っていたより簡単で(また、乗り継ぎの待機時間も短かったので)、何のストレスも感じることなく、福岡を発った当日の午後8時前にコロンボに着いた。

    スリランカの旅を終え、その最終・帰国の日、バンダラナイケ国際空港でチェックインをした。しかし、機内預け荷物の受け取り方法が、上の情報とは違っており、より便利になっていた。このコロンボ発上海乗り継ぎ福岡着の便でも、上海をスルーチェックインできるというのである。つまり、荷物をコロンボで機内に預け、それを福岡で受け取ることになる。この変更がいつなされたのか知らないが、これにはちょっと驚くと同時に(事前にあれだけ確認していたのと違うので)、身軽に上海の空港内を動けるし、出入国手続きと再チェックインが不要なので非常に気が楽になった。上海でのトランスファー要領も来た時と全く同じで、すでに一度経験済み、気軽に行動できた。往きと異なっていたのは、コロンボでは上海便のチケットだけ発券され、上海から福岡行き便のチケットは上海で受け取るという点だけである。

    ただ、上海浦東国際空港で注意を要するのは、搭乗口の変更がしばしばあるということである。今回、出国エリアでのんびりしすぎて、帰りの福岡行き便の搭乗口の変わったのに気づくのが遅れ、少々慌てた。頻繁に掲示板を見て、便の搭乗口を確認すべきである。
  • タバコのこと
  • 非喫煙者には関係ないが、タバコについて。私はタバコを吸うので、2年前も今回も必要な量(およそ1日1箱)を持って行った。空港でスリランカに入国の際、タバコと酒類には税金がかかることになっている。しかし、いずれの場合も関税検査はないようなもので、何事もなく、どちらも税金を支払うことなく持ち込めた。

    スリランカで私はタバコを買ったことがないし、どこでどのようにして買うのかも知らないが、タバコは非常に高価で、20本入り1箱1,000ルピーもすると聞いたことがある。そのためか、スリランカでタバコを吸う人は非常に少ない。くわえタバコで歩く人など見かけ
    ない。したがって、例えばコロンボのペター地区など人通り多い所の道端でも、鉄道駅の線路の上にもタバコの吸い殻は一つも落ちていない。

    よくタバコをくれとせがまれることが多い。すべて男性だが、実に気軽に(たまにしつっこく)要求する。初めの内は1本くらいならと気安くやっていたが、それが度重なるとこっちの分が乏しくなり、後では原則断固断ることにした。しかし、エッラ・ロック登山道の茶店で二人の警官から求められた時は、登山道の確認などしてくれたこともあり、1本ずつあげた。

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