- 大学3年次の昭和37(1962)年夏、友人と3人連れで奄美大島を訪れた。二人の友人は大学の文芸部に属し、島尾敏雄に大いなる関心を抱いていた。私も島尾の小説とその背後の「事情」に心打たれた。そこで、我々3人は、島尾敏雄に会いに行こうと計画し、実行した。
- 太平洋戦争終戦後沖縄同様に米軍統治下に置かれた奄美群島は、8年間の米軍政下を経て、昭和28(1953)年12月24日に日米間で奄美群島返還協定が調印され、翌25日、日本に復帰した。私の最初の奄美訪問は復帰後9年ということになる。当時、福岡⇔奄美間を飛ぶ航空便はなかったのではないかと思う。我々は国鉄で博多駅から鹿児島駅に行き、船便(貨物船に乗せてもらったように記憶している)で奄美に渡った。
- 今回の旅の重な目的の一つは、先ず奄美における島尾敏雄ゆかりの諸処訪問である。第二は、60年あまり前奄美で数日過ごした小湊の小学校訪問と海岸を見ること、第三に、西郷南洲流謫跡・愛加那の泉見学、第四に、田中一村記念美術館訪問。その他、太平洋戦争までの軍事諸施設遺構見学(特に加計呂間島呑之浦の「第一八震洋隊基地跡」)、田中一村終焉の家見学など。
- また、(訪問予定順に)奄美群島国立公園ビジターセンター、奄美観光ハブセンター、マングローブパーク、奄美野生生物保護センター、奄美海洋展示館の諸施設を訪問・見学することにした。
- 奄美の大島と加計呂間島をレンタカーで周回した。奄美はやはり海とサンゴ礁と思い、できるだけ海沿いを走った。各所の観光名所、海岸を見たかったためである(下の「旅行全図」参照)。
- 旅行期間は5泊6日、車の運転で疲れないように1日の車走行距離は原則100km以内とし、かつできるだけ早め(遅くとも午後4時まで)に宿に着くように(これは登山の場合と同じ)旅程を調整した。
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- 観光・訪問・見学は別として、今回の旅行で印象的だったのは国道、県道、地方道の整備がよくなされ、車の走行は非常に快適ということである。海岸沿いと内陸部のルートはトンネルによってカーブと高低差が軽減されている。そのトンネルが多い。第1日目、名瀬のゲストハウスでは食事提供がないので外に出て夕食を摂った居酒屋の店主によると、奄美大島と同じ陸地面積でトンネルの距離を比較すれば大島が日本で一番である、とのことである。旅を終え、なるほどと思った。なお、下の「旅行全図」には、短いトンネル(記号、黒線)未記入。
- ところで、この旅行は春の大型連休の前に行うことにし、その第1日目を4月21日(日)と決めた。出発日の約2週間前の4月6日(土)、往復航空便、宿、レンタカーなどすべての予約を済ませた。行きの福岡⇒奄美と同じく帰りも奄美⇒福岡直行便を予約したかったが、奄美観光のシーズンではないにもかかわらず満席のため、鹿児島空港乗り継ぎ便にせざるを得なかった(料金は往復同額)。往復とも乗客は多かった。連休中や旅行シーズンは航空券の予約はかなり早めにすべきだと思った。
- 旅行を終え、このウェブページを整える中、また夏に奄美に行きたいと思う。その際車で走り回ることはしない。どこか一、二箇所、海辺で数日過ごしたい。どこにするか。今回奄美をぐるりと回って、心に残る海辺は加計呂間島と宇検村である。あのサンゴ礁とリーフの美しいどこかの浜辺の宿に泊まり、泳いだり、シュノーケリングで珊瑚や魚を見たり、魚釣りをしたりして過ごすのはさぞ楽しいだろうと思う。
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